柔道は、1964年の東京オリンピックで初めて正式競技として採用された。それ以来、柔道は世界200カ国以上に普及し、今日では最も国際的に普及した日本の武道となっている。しかし、その国際化の過程で、創始者・嘉納治五郎が描いた柔道の理想とのギャップも生まれている。

■嘉納治五郎と柔道の創設

嘉納治五郎(1860〜1938)は、1882年に柔道を創設した。当時の柔術を研究・整理し、「精力善用」「自他共栄」という二大原理のもと、単なる格闘技術を超えた人間形成の道として柔道を確立した。

嘉納はまた、日本初のIOC委員として、スポーツを通じた国際交流にも尽力した。1940年の東京オリンピック招致(戦争により中止)にも貢献した嘉納は、柔道のオリンピック競技化を夢見ていたとされる。

■1964年東京オリンピックでの採用

嘉納の夢が実現したのは、彼の没後26年後のことだった。1964年の東京オリンピックで、柔道は初めてオリンピックの正式競技として採用された。しかし、この大会で日本は全4階級のうち3階級を制したものの、無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れるという衝撃的な結果を経験した。

「ヘーシンクに負けたとき、日本中が驚いた。でも、それが柔道が本当に世界に広まった証拠でもあった」
— 1964年東京オリンピックを観戦した元柔道選手(70代)の証言

■国際化による変化

柔道の国際化は、ルールや技術の変化をもたらした。国際柔道連盟(IJF)は、競技の安全性向上と観客への分かりやすさを目的として、たびたびルール改正を行ってきた。

特に議論を呼んだのが、「帯より下への組み手の禁止」(2010年)だ。この改正により、レスリング的な技術が制限され、柔道の技術体系に大きな影響を与えた。日本の柔道関係者の中には、この変化が「柔道の本質から離れている」と懸念する声もある。

■日本柔道の現状

かつて「柔道大国」として世界に君臨した日本だが、近年は国際大会での苦戦も目立つ。フランス、ロシア(現在は国際大会から除外)、コソボなど、柔道強国が台頭し、日本の優位性は以前ほどではなくなっている。

一方で、2021年東京オリンピックでは日本が金メダル9個を獲得し、「柔道ニッポン」の復活を印象づけた。

■まとめ

柔道のオリンピック競技化は、嘉納治五郎の夢を実現する一方で、競技としての変化も生んだ。「武道としての柔道」と「スポーツとしての柔道」のバランスをどう保つかは、今後も議論が続くテーマだ。


【用語解説】
精力善用:心身の力を最も有効に使うこと。嘉納治五郎が提唱した柔道の根本原理。
自他共栄:自分と他者が共に栄えること。柔道の社会的理念。
IJF(国際柔道連盟):柔道の国際統括組織。ルール制定や国際大会の運営を担う。
帯より下への組み手の禁止:2010年のルール改正で導入。レスリング的な技術を制限した。
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